類想類句~書記長の独り言

機関紙「教組米沢」連載

小学生の「今年の漢字」から勇気をもらう

 昨年の「今年の漢字」は「密」。二位は「禍」三位は「病」と世相を反映した漢字でしたが、ベネッセが行った「小学生が選ぶ今年の漢字」とその理由を見て、改めて考えさせられました。
 1位「笑」 「コロナでも笑顔でがんばれた」「家にいる時間が多く、家族といっぱい笑った」
 2位「幸」 「学校に行ける幸せを感じた」「家族と過ごすことが幸せだと感じた」
 3位「新」 「コロナの中で新しい楽しみを見つけた」
 コロナ禍でも前向きな子どもの姿が見えてきます。
 コロナに振り回された今年度もまもなく終わります。私たちは、「学校に行けることが幸せ」と子どもたちが感じる学校づくりができたでしょうか。休校後の子どもたちを迎える環境づくり、遅れた入学式の精一杯の準備、授業の遅れを取り戻すための授業と教材の工夫、毎日の消毒作業など、私たちも一生懸命がんばったこの一年でした。そんな思いをみんなで共有しながら、また新年度に向けて取り組みを進めたいものです。
(2021年2月22日「教組米沢」 No.20)


青年教師のエネルギーをぜひ!

 私は米沢革新懇のホームページに「米沢探訪」を連載しています。最近その写真を撮りに、久しぶりに北山原の森英介詩碑を訪ねてみました。
 碑文にはありませんが、森英介(本名佐藤重男)は終戦直後の一九四六年、米沢で雑誌「労農」を創刊し、地方からの社会改良をめざす青年運動に取り組みましたが、占領政策の転換で挫折し、わずか3号で休刊します。その後詩集「火の聖女」を自主出版。高村光太郎をして「これほど魂のさしせまつた聲を未だ嘗てきいたことがない。私はおそろしい詩集を見た」と言わしめましたが、刊行される直前に急死。享年三十三歳でした。
 今、山形大学工学部の学生が、コロナ禍でアルバイトができず困窮する仲間のために、「フードドライブ」を設立し、日用品や食料の支援をしています。いつの時代も、社会をより良くしようとするエネルギーは青年から生まれるものです。
 学校でも青年教師の皆さんが増えてきました。ぜひエネルギーを学校の外にも向けてほしいと願っています。
(2020年12月7日「教組米沢」 No.19)


アベノママデス

 菅首相について、秋田の田舎から出てきた苦労人、というようなイメージでテレビ・新聞は大騒ぎでした。彼のこれまでの政治経歴、安倍政権の中で果たした役割を冷静に分析し批判するような報道は、ほとんど目にすることができませんでした。
 その中で、首相指名翌日の日刊スポーツ紙は、一面に大きく「アベノママデス」の大見出し。今や大新聞よりも、週刊誌やスポーツ紙の方が的を得た報道をしています。
 大手新聞社と政治との癒着は、読売新聞会長が政界フィクサーとして有名です。新聞社はさすがに直接の政治献金はできないので、「日本新聞販売協会」が自民党に多額の政治献金をしていることが明らかになっています。
 学校への新聞購読の押し付け、軽減税率などがその見返りです。おかげで学校は、窓ふきの新聞紙だけは豊富になりました。
(2020年10月5日「教組米沢」 No.18)


安倍首相の夏休み

 新型コロナの感染者が再び急増し、国民の不安が高まる中、安倍首相は早くも夏休みに入ったようです。
 「Go to トラブル」スタートの四連休明け。新聞の「首相動静」によると、首相は毎日午後に出勤し、官僚からの報告を聞いただけで、記者会見も2カ月近く開かず、毎週2回と決められている閣議も開かず、さっさと夕方には帰宅しています。野党が憲法に基づいて要求している臨時国会についても、「開くのはイヤだ」「追及される」と側近にダダをこねているという週刊誌報道は、あながち当たっているかもしれません。
 神経をすり減らしながら、子どもの心に寄り添い続けた一学期も終わります。短い夏休みですが、私たちも少し心と身体を休めましょう。
(2020年8月4日「教組米沢」 No.17)


コレラ神社

 先週、書類を届けに市内の学校をまわりました。どの学校でも、子どもたちの歓声が響いていましたが、様々な課題は残ったままです。一面で民研・小寺先生の、機械的な行動規制への警鐘を紹介しましたが、米沢の学校では杞憂であることを信じています。
 三月に、米沢革新懇のホームページに記事を載せるため、窪田地区にある二カ所の「コレラ神社」を訪れました。明治の始め、米沢の各地でコレラが大流行しました。コレラ菌の発見前であり、当時の人々はこの原因不明の疫病を菩薩や大明神に祀り上げ、終息を祈念しました。
 今の新型コロナも、原因のウィルスはわかっているものの、治療法もワクチンも確実な予防法もわからない状況は、明治の人々の不安と共通のものです。政府の方針も専門家の意見も、どうも今一つ信頼できないことが、この不安に輪をかけています。
 (コレラ神社は東江股の春日神社と小瀬の田塚神社にあります)
(2020年7月6日「教組米沢」 No.16)


もういいです

 前からわかってはいましたが、このコロナ自粛の中で、この国の政府は本当に国民を助けないのだということを改めて痛感させられました。
 雇用調整助成金は、80種類もの書類の提出を求め、20万件以上の相談があったのに4月中の支給決定はわずか280件でした。バイトができず困窮する大学生への緊急給付金20万円は、自宅外で生活する住民税非課税世帯の学生だけで、全学生の一割にも満たず、留学生はなんと「成績優秀者」だけに限定するとのこと。
 休校の間、どの学校でも子どもたちのために、精一杯の努力が続けられました。でも国からは、夏休みを減らしてでも授業を終わらせろ、と鬼のような通知の連発。もうこの政権は、……もういいでしょう。
(2020年5月26日「教組米沢」 No.14)


政治への信頼

 突然の一斉休校から、まもなく2ヶ月。この間安倍首相が行ったことは、小さくてゴミや汚れの付いたマスク2枚の配布と、優雅に自宅でくつろぐ動画の配信、いつになるかわからない給付金の決定のほか、保障もなしに精神面だけ強調した外出自粛の呼びかけぐらいしかありません。
 マスコミもひどい。読売や産経の社説は、相変わらず政府の対応に無批判のまま、国民に自粛を呼びかけるだけです。テレビは、芸人のどうでもいいコメントばかり垂れ流し、どれだけ人が減ったか、逆にここは増えているなどと、不安と人々相互の不信をあおるばかりです。そんな中、山形新聞が「泥縄の対応」などと批判するなど、むしろ全国の地方紙が政府への批判を的確に続けています。
 ドイツのメルケル首相の国民に向けた演説が大きな感動を呼びました。でも演説だけでは多くの人々の連帯感は生まれない。根底には、ドイツのこれまでの政治と社会保障に対する、ドイツ国民の信頼と誇りがありました。日本が自分の国の政治を誇りに思える日は、いつ訪れるのでしょうか。
(2020年4月23日「教組米沢」 No.13)


あの日から9年

 あの日から9年。日本中の誰もが、あの日あの時、自分は何をしていたか、その後どうしたか、などに想いを巡らせました。
 私は岩手大学出身で、三陸沿岸にも多くの友人が教員をしていました。新聞に掲載される亡くなった方々の名前欄を、知っている人の名前を見出すのが怖くて、半年以上見られなかったことをおぼえています。
 3月11日の新聞各紙やテレビは、被災地の復興、特に生活インフラの整備が遅れている現状や、福島原発の廃炉処理や汚染水処理がほとんど進展していない実態を詳しく伝えていました。米沢市にも、小中学校に100名以上の被災地の子どもたちがいます。米沢が生まれ故郷になった子どもも多く、これからの支援をまだまだ考え続けていかなくてはなりません。
 今、新型コロナの蔓延の中で、マスコミは、被災地で何とか卒業式を実施するためにがんばる学校の様子を伝えています。そう、今年中学校を卒業する生徒たちは、あの時小学校の入学式がちゃんとできなかった生徒たちでした。そんな状況の中で心を込めた卒業式を、という被災地の先生方に頭の下がる思いです。
(2020年3月19日「教組米沢」 No.12)


一斉休校

 安部首相の突然の全国一斉休校の要請。翌朝の山形新聞は「あり得ぬ 文科省衝撃」との大見出しで、文科省が全く連絡を受けていなかったことを正確に報道しました。読売新聞は県版で、米沢市教委の教育指導部長の話を紹介。部長は「休校の決定権は国でも県でもなく、設置者(市)にある。早急に対応を検討する」と、首相の表明直後の電話取材にもかかわらず的確な対応を述べていました。
 感染拡大の状況によっては、学校の休校もあり得たことです。しかし、休校による子どもの安全確保、保護者の対応など、事前に検討された様子は全くなく、文科大臣は反対し、文科省には連絡さえなく、学校よりはるかに密集度が高い学童保育に対応を丸投げし、専門家の意見さえ聞かなかったことも明らかになり、批判の高まりにあせった首相が思い付きで要請したことが明白になっています。
 しかし、国の一方的な要請に対し、独自の判断で休校しなかった学校も約四百校にのぼり、米沢市のように、国・県の指示を待たずに学校での子どもの受け入れを決めた自治体も多数に上ります。何でもお上に従わない。まだまだ地方自治には希望があることを感じられたこの一週間です。
(2020年3月11日「教組米沢」 No.11)


マスコミ

 菅原経産大臣・河井法務大臣の選挙区買収、千葉県知事の公用車疑惑などは、すべて「週刊文春」のスクープ記事です。芸能人のゴシップだけでなく、政治問題にも鋭い取材をしていることがわかります。
 反面、新聞やテレビは何をしているのか。週刊誌の後追い取材ばかりで、特に新聞社の取材能力、いや政治に対する関心の低下は深刻に思えます。
  政府の広報と化したY紙や改憲宣伝紙のS紙はどうでもいいとして、マスコミの再生を願うばかりです。
(2019年11月20日「教組米沢」 No.8)


台風と社会の分断

 甚大な被害をもたらした台風十九号ですが、ネット上に多くのひどい書き込みがあった、というニュースがありました。
 東京台東区で避難所にいた区職員が「区民のための避難所だ」と、ホームレスを閉め出した事件では、「当然だ」「税金を払っていないヤツは外にいろ」などの書き込みがあふれました。
 川崎市武蔵小杉のタワーマンションが冠水し、今も断水・停電が続いていることに対しては、「タワマン族ざまあみろ」「セレブへの天罰だ」などの書き込み。
 いつから日本はこんな国になってしまったのでしょうか。この書き込みから見えるのは、弱者への蔑視、富める者への嫉妬です。貧富の格差が拡大し、不安の中で社会全体が分断されてきている証左ともいえます。
 学校の職員室はどうでしょうか。神戸のいじめ事件は全く論外ですが、同僚と力を合わせ、喜怒哀楽を共にする関係は薄れていないでしょうか。
 教職員組合は、人間的な連帯で仲間と子どもを守ることを最も大切にしてきました。若い教職員のみなさん。ぜひ組合に加入して、共に力を合わせませんか。
(2019年10月21日「教組米沢」 No.7)


尾木直樹先生のこと

 「尾木ママ」こと尾木直樹さんは、独特のキャラクターと専門的な教育評論でテレビでもおなじみですが、私たちの世代にとっては、全進研(全国進路指導研究会)の実践家であり、彼の多くの書籍をみんなで情報交換をしながら読み合ったものです。
 1989年の秋、米沢の小野川温泉で、県内の20代の青年教職員約350名が集った「県青年教研」には、多くの講師団の一人として尾木さん(当時は石神井中学校教諭)も来られ、旭屋旅館の一室で彼の実践に耳を傾け、膝を突き合わせて討論を深めたことが思い出されます。
 尾木さんの、中学生の男女それぞれの心理的・発達的特性を踏まえた学級づくりの実践に、私たちの世代は大きな影響を受けました。その柱は一言でいうと、「子どもらしさの尊重」であり、それは現在の彼の評論にも貫かれているように思います。
 昨今、授業で子どもを秒単位で操ったり、子どもの発言や行動、感情までもパターンでとらえ、指導も定式化する、いわゆる「スタンダード化」が問題になっていますが、子どもには、子ども独自の世界を生きる権利があることを、改めて見つめ直したいものです。
(2019年9月27日「教組米沢」 No.6)


隣国への理解

 連日、韓国に関する報道が続き、日本の中にもいわゆる「嫌韓ムード」が広がっているのが気になります。
 20年ほど前、県内の小中高の先生を中心に十数名で何度か韓国を訪れたことがありました。当時はようやく軍人でない大統領が誕生したばかりで、もちろん韓流ブームの前です。百済などの歴史的遺産をめぐり、韓国の中学校の授業参観をしたり、日本語を学ぶ若い人たちと交流したりと、充実した旅でした。
 その旅の中で感じた、韓国の人々の日本を見る目は、基本的には今も変わっていないように思います。「日本は韓国を併合し、国を奪われた」「植民地支配の中で、強制徴用などひどいことをした」「戦後の日本は反省も謝罪もしていない」など。
 中には韓国の政治的ナショナリズムに利用され、誇張されたり脚色されたものもありますが、大切なことは、韓国の人々は歴史の中に連続して自分が存在しているという意識が、日本とは比較にならないほど強烈であることです。「昔のことは、いったん脇において仲良くしましょう」というのは、絶対に通用しないことだけは確かです。
(2019年9月6日「教組米沢」 No.5)


トレチャコフ美術館展

 山形美術館で開催されているトレチャコフ美術館展を見てきました。10年ほど前に同じ美術館展を東京で見ましたが、数点を除き全く新たな作品の展示でした。絵画を見たのか人の頭を見たのかわからない東京での展覧会と違って、山形ではゆったりと作品を鑑賞することができました。
 19世紀後半のロシアは、形だけの農奴解放の後、ナロードニキの台頭、テロの頻発、皇帝の暗殺など重苦しい圧迫が社会をおおっていました。その中で芸術家たちは旧来のアカデミズムに反旗を翻し、ロシアの自然と人々を新たな視点で描きました。展示された絵画からは、単なる自然描写ではなく、社会の閉塞感や人々の感情が浮き出していました。
 未来への展望の見えない不安、投票率が5割を切るという政治へのあきらめ、テレビはお笑い芸人のどうでもいい話題に占領され、突発的な事件が頻発し、異常気象でへとへとな状況は、世紀末のロシアの閉塞感と重なるな、などと思いながら、芸術家ではない私は何ができるのか、あれこれ考えながら帰途につきました。
(2019年8月2日「教組米沢」 No.4)


参議院選挙

 20年ぶりに書記局専従となり、お昼は毎日カップめんやコンビニ弁当で、不健康な毎日です。給食のありがたさを痛感しているこの頃です。
 お昼の時間、テレビのワイドショーを見ることが多くなりましたが、参院選の翌日は、テレビをつけると民放は吉本の話題一色で、選挙の話題など一切ありませんでした。
 多くの人が興味ある話題なのかも知れませんが、大企業のCMで運営され、多額の政治献金を自民党に寄付するテレビ局なので、政治の話題を期待する方が無理なのかもしれません。
 県内のほとんどの首長が支持し、大物幹部が何度も来県した自民党現職を野党統一候補が破りました。投票率も全国トップ。山形県民は、まだまだ捨てたものではありません。
(2019年7月24日「教組米沢」 No.3)


人間的な職場

 昔話になりますが、私は新採用で中学校の特殊学級担任になりました。当時は高等部がなかったので、卒業後は就職するしかなく、私も新採の年から名刺を持ち、真夏でもスーツを着て職場開拓をしました。
 当時、特に女子が多く就職したのが県外の綿紡績会社で、私も担任した生徒を県外に何人も送り出しました。卒業生が就職した静岡県の紡績工場を訪問し、会社の内容や卒業生の様子を説明してもらいました。
 単純作業のため、従業員はほとんどが中卒で、特殊学級卒業生も多くいました。寮が完備され、4年制の定時制高校も併設されていて、5年勤続するとハワイ旅行のプレゼントがあり、多くは20歳で退職しますが、高卒の資格と財形で貯めた約300万円の貯金を持って地元に帰る、とのことでした。もちろん全員が「正社員」で労働組合にも加入し、中卒の彼女たちに「労働組合とはなにか」のレクチャーまで行われていました。
 当時は、低賃金で短期間に従業員を回転させる「野麦峠」のようだと、批判も多かった紡績工場ですが、それでも今に比べれば、はるかに人間的な職場でした。ちなみに綿紡績工場は、中国や東南アジアに移転し、現在、国内には一つもないそうです。
(2019年7月2日「教組米沢」 No.2)


もし安倍政権でなかったら

 まもなく参院選挙です。今学校に様々にふりかかってきていることは、そのほとんどが安倍政権によるものです。
第一次安倍政権では
〇教育基本法改定
〇教員免許更新制
〇全国学力テスト
〇指導力不足教員の認定などが行われました。
第二次安倍政権以降は
〇人事評価制度
〇道徳の教科化
〇退職金の大幅削減などが行われています。
 日本の伝統、領土などを強調した学習指導要領の改訂と教科書検定も、安倍政権の主導で強化されました。上に挙げたようなことがもし全部なかったら、学校も教職員の日常も大きく変わっていたように思えてなりません。政治が変われば教育も変わります。私たち教職員も積極的に主権者としての権利を行使しましょう。
(2019年6月6日「教組米沢」 No.1)

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